book「もう独りにしないで: 解離を背景にもつ精神科医の摂食障害からの回復」

「もう独りにしないで: 解離を背景にもつ精神科医の摂食障害からの回復」  まさきまほこ 星和書店 (2013年) 

この本は、著者が研修医を始めるころ(今から10年ほど前)までの実体験を語ったものです。

誕生から26歳までのリアルな場面が綴られます。

◆幼少期から、両親、祖父からの日常的な虐待。
あまりにもすべてを否定され続けられる中で生き延びるには、自分を見守り助けてくれる「自分の中のもう一人の自分、別の人格」が必要だったこと。 (解離性障害)

◆虐待による慢性の心的障害の上に、さらに、震災での祖母の悲惨な死、学校時代に続いた親しい人の突然の死が、心的外傷を積み重ねていったこと。

◆これらから摂食障害を発症。拒食、過食嘔吐を繰り返し体重30キロ代になり、身体的に危険な状態であるにもかかわらず病院にいく選択肢がなかったこと。
(医師である父から、風邪をひくだけで怒鳴られ、病院に行くことは罪という家の法則に縛られていた)

◆肉体的にも精神的にも極限状態で医学部時代を過ごす。
複雑性PTSD、解離性障害、摂食障害そして、うつ、パニック、強迫症状などを抱えながら。
世界のすべての現象が自分のせい、活きてる価値はない、など幼少時に感じたのと同じ罪悪感をもちながら過ごす。
しかし、この極限状態にもかかわらず、病気だとか、被虐待者であるとかの実感はまったくなかったこと。

◆なんとか研修医としてのスタート台に立つが、この状態を続けられないと判断、いったん退職し休養を選択。症状をかかえながらも、少しずつ「今を受け入れ」、人生に対して気楽になり、生活リズムも取り戻せるようになる。まだ傷は癒えてはいないが、医学の道への再スタートを切ることになる。

実録のあとに、著者自身の解説、分析がまとめられている。

「解説」から、以下引用
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私は治る日など程遠いと思っていた。
もしかしたら一生、食物との格闘にまみれて過ごすのではないかと絶望的な日々を想像するだけで、希望も何もかも失われていった。

明日、目が覚めたら死んでますようにと何度となく祈った。

雑踏や閉所で起きるパニック発作が怖くて、自宅からは一歩も出ることがきなくなった。

屍のように眠り続けても、まったく疲れがとれないうつ状態で、這うように過ごすしかない日々が続いた。
その悲惨さは筆舌に尽くしがたい。

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あの悲惨な日々の自分に「治るよ」と言っても私は信じなかっただろうし、健常人にとっての「・・信用できることが当たり前」というその健常な土壌こそ、障害ある者の身ではなんとも信じがたいことであり、かつ羨望するものでもあり、「隙間」から見える光でもあった。

でも発症した頃には手を伸ばしても全然届かなかった。しかし豊かに降り注ぐような余りある光に、手が届く力はいつも今ここでの日常生活にこそあると、今は思う。

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著者もいうように、これらは極めて個人的体験ではあるが、幼少期の虐待からこのような精神的な疾患、障害を持つ人の心の内、世界の見え方のひとつの理解につながる著書であると思います。